研究日本庭園,反而可證明日本文化源於中國:
一、後樂園
小石川後樂園及岡山後樂園均有後樂二字,均源自范仲淹的「先天下之憂而憂,後天下之樂而樂。」而得名。庭園據說是明朝遺臣朱舜水指導所做。
二、六義園(風雅頌賦比興)
六義園為和歌主題公園,運用風雅頌賦比興的六義,稱為六義園。
六義園為依風雅頌賦比興之六義來做和歌(日本詩歌),並將庭園景觀與和歌配合。
東京公園協會贊助,角川書店編譯,送給六義園解說員解說使用之和歌共14首,小編譯成中文如下:(資料來源: 六義園義工解說員)
(一)、和歌之浦
わかのうら、にしほみちくれば、かたをなみ、あしへをさして、たづなきわたる。
和歌之浦、往西徑來、並肩而行、指籚花處、鶴聲徹鳴。
(二)、出汐湊
和歌のうら、に月のでしお、のさすままに、よるなくつるの、こえぞかなしき。
和歌之浦、月出汐湊、所照之處、鶴鳴聲聲、入耳悲淒。
(三)、玉藻磯
和歌の浦に、ちぢのたまもを、かきつめて、万世までも、君がみんため。
和歌之浦、玉藻千千、搔刮收取、直至萬世、只為見君。
(四)、玉笹
いもせ山、なかにおひたる、たまざさの、一よのへだて、さもぞ露けき。
妹山之中、悠悠飄香、玉笹之味、隔夜之後、已然露滋。
(五)、指南岡
尋行く、和歌のうら路、のはま千鳥、跡ある方に、道しるべせよ。
尋覓而行、和歌浦路、濱海群鳥、足跡之處、作為指南。
(六)、下折峰
よしの山、こぞのしおりの、みちかへて、まだ見ぬかたの、花をたづねん。
蘆葦滿山、新下折峰、返回路上、欲去尋訪、未見之花。
(七)、衣手岡
ゆふされば、衣手さむし、みよしのの、吉野の山に、み雪ふるらし。
離開由布、衣手岡寒、御吉野處、吉野山上、猶似降雪。
(八)、峰花園
みよしのの、みねの花ぞの、風ふけば、ふもとにくもる、春の夜の月。
御吉野處、有峰花園、風吹徐徐、山麓陰陰、春夜月出。
(九)、不知汐路
わかのうらや、しらぬしほぢに、こぎいでて、身にあまるまで、月を見るかな。
來和歌浦、不知汐路、搖槳划出、望見月色、灑落全身。
(十)、蛛道
わがせこが、くべきよひなり、ささがにの、くものふるまひ、かねてしるしも。
吾與夫子、柵欄潔淨、蜘蛛小徑、觀其活動、兼以為誌。
(十一)、藤代峠
ふじしろの、みさかをこえて、見わたせば、かすみもやらぬ、吹上の浜。
藤代之巔、越過山坡、放眼一望、已無雲霞、吹上之濱。
(十二)、紀川
ひとならば、おやのまなごぞ、あさもよいきの、かわつらの、いもとせのやま。
通常一起、親子同來、晨曦佳樹、皮亮藤茁、妹背山濱。
(十三)、渡月橋
わかのうら、あしべのたづの、なくごゑに、夜わたる月の、かげぞひさしき。
和歌之浦、蘆葦之浜、鶴聲遠聞、月影渡橋、長久復見。
(十四)、宿月灣
玉津島、やどれる月の、影ながら、よせくる浪の、あきのしほ風。
望玉津島、月兒留宿、影兒同留、浪花前來、秋夜潮風。
14首和歌中常提到和歌之浦或和歌浦 (第1,2,3,5,9,13首),根據解說員說明是在今和歌山縣之海灣,而根據地圖和歌山市區也有河名為紀川。此為雙關語,因為"和歌"一詞既是地名又是日本詩一之一種。
三、兼六園:
宋朝《洛陽名園記》中寫道:「洛人云,園圃之勝 不能相兼者六,務宏大者,少幽邃;人力勝者,少蒼古;多水泉者,難眺望。兼此六者,惟‘湖園’而巳。」因洛陽名園記中記載不得得兼者六。敢命名為兼六園勢必是名園。
附錄:
(明朝)計成著「園冶」一書。